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アイデア

物申す。

たまには tweet やめることでて、半島王族末裔宰相のケツをナメにわざわざこの日本までやって来た『さえずり』会社のユダヤ人CEOの広告収入を減らそうなんてクールな抗議ができないものか? いっつもおんなじ成果の上がらない『反対!反対!』とわめいてるだけじゃ脳無し人間みたくね?

新世界秩序の仲間入り宣言はしたけれど。

xtraの女嫌いは有名だし、かつて地球上の女がバタバタ死ぬ細菌をばらまいてやれと妄想した話も何度もしたからもう飽き飽きしてるかもしれない。これは単に周囲の女性が感情的に耐え難いほどに鬱陶しいからであって、極めて自己中心的で超個人的な歪んだ考えであることは言うまでもない。その虐殺(というよりほとんど人類という種に対するジェノサイド)を肯定化するのに俺が思いついたのは地球の『環境保全』だった。つまり、地球上を汚しているのは『人間』だから『人間』を製造できる『女性』を地球上から無くせば良いという発想だ。

この義務教育時代から耳にたこができるほど聞かされてきた『環境』問題という口実は、原子力発電を肯定するための地球温暖化という極めていんちき臭い二酸化炭素排出量問題など、便利に使われてきているわけだが、アニメ『機動戦士ガンダム』のジオン・ズム・ダイクンが掲げる(人間を地球から追い出すことで自然を再生させる)革命、また、よく似た話で、新世界秩序のエリートたちも環境保全名目で飛行機から毒をまいて余分な人間を殺しまくる(人口削減政策)という話を聞く。もちろんケムトレイルの話は鵜呑みにしてはいけない。なぜなら、こうして、俺らの目の前に形として提示されているということは、表向きからは見えない別の目的があるからだ。

『結果(環境保全)』が目的なのか、はたまた『プロセス(殺戮)』が目的なのか? 奇遇にして、新世界秩序のエリートたちと同じ志を持っていることに共感を覚え、何度も同じ手口に騙される愚かな大衆をdisって twitter アカウントを放り出しては見たが、坂の上の雲の上の賢人たる悪魔どもの稚拙さもドブさらい以下の大衆に勝るとも劣らない『愚か』さが鼻につく。
西洋合理主義。これは絵に描いた餅。経験の浅いマザー・ファッカー坊やの浅はかで幼稚な夢。

『あそび』がないのだ。

木工の折りたたみ式の椅子などの制作経験があれば誰でも知っていることだが、正確に設計図通りに木を切り出して組み立てると、たいていはジョイント部分などがキツキツで使いものにならない。『あそび』という図面にない『余裕』を確保しなければならない。
奇しくも『アドビ』の『Illustrator』という印刷データ作成ツールのおかげで、印刷技術の微妙な知識が要らなくなったことで、今のデザイナーは『塗りたし』を知らない。
『塗りたし』は印刷技術の微妙なエラー(版ズレ)を補完する『あそび』だ。
精巧な技術のを支えるのは『厳密』さでも『精密』さでも『完璧』さでもない、『あそび』『余裕』『無駄』なのだ。
新世界秩序の連中の話を聞けば聞くほど、『無駄』や『余計』を考慮して自分たちのアジェンダを理想を『精密』に、あるいは『完璧』に仕上げようという、気配を感じない。いやむしろ、まるで頭に入っていない印象だ。
それが取りも直さず『人口削減』『優生学』的見地だ。
『無駄な人間は殺してしまえ』では、完璧に循環性を保った社会システムはとうてい作れない。
新世界秩序は必ず失敗する。目的を果たしても必ず早々に崩壊が起こる。
さらに付け加えるならば、『無駄』や『余分』を考慮すると、今度は彼らが理想とする『完璧』なヒエラルキー構造自体が危うくなる。

おそらくは多少時間がかかるのだろうが、新世界秩序やそのエリートたちはその自身の『有り様』から自然に必然的に世界から淘汰される。

ただ最近、少し感じるのは彼ら自身、それに気付いてるのではないか…?…ということだ。
つまり、少数先鋭故に、深く、静かになめらかに制御不能状態に陥ってるのではないか?
プライドの高いへそ曲がりの頑固な性格も手伝って救済も求められず、しかも『犬』であったはずのサイコパス人材が『障害』そのものになったのかも知れない。まさにディズニーの『魔法使いの弟子』状態。

歴史は繰り返す

新しい楽園

日本海賊つながり。

切れる

どうやら僕は、僕の言うことを理解できない人に対してすごく「切れる」ようだ。

先日の「ミイラ山」周辺のコンクリートで作られた人工の用水路でのエピソードを思い出した。
子供なら誰しもやったであろう笹舟の競争でのこと。
僕と友人はいつもの様に笹舟レースで競い合っていた。
突然友人の船が失踪した。よく見ると後方の縁に引っかかって座礁していた。
友人が騒ぎ出したので、座礁している方向を指さしたが、友人の目には船が見えないらしい。
「見えない!見えない!」と、あまりに騒ぐので「この馬鹿やろう!」と友人の後頭部に蹴りをお見舞いして、コンクリートの用水路にたたき落としたのだ。

普通に考えれば、その程度のことで立腹する精神のほうがどうかしている。
自分が示したり、説明してしたりして、相手が言ってることの意味を理解できない時などに、このような血で血を洗う惨劇が、僕の人生の節目節目で繰り返されてきたように思う。
もちろん、血を流すのは自分ではなく僕と対峙した気の毒な隣人たちではあるのだが、昨年であった大切な人から意味不明な「怒り」の裏側には何かどうしようもなく切実なコンプレックスのようなものが隠されていると教わっていたので、さらなる犠牲者を増やさないためにも原因の究明に乗り出してみた。
昨年は随分「別離」のことで心を病み、その時に徹底的に自分を整理したので、わりかし簡単に答えが出た。

僕は生まれて間もない頃、母親の職業上の理由から「放置」されていた。おそらくはその経験から、自分の「願望」を察知し得ない、母親への「無理解」に対し強烈な「怒り」を温存していたのに違いない。
僕の言うことに《理解》を示せない者への《苛立ち》はこれが原因なのだ。

だから、僕は大人になってから「どうしてこんな簡単なことが理解できないのか?」と思うようなシチュエーションに対して、比較的愚鈍な輩に出くわすと、相手を遠慮なくdisってきたのだ。

イルミナティといわれる闇の権力者集団がいると言われている。
《都市伝説》として語られる存在ではあるが、僕はいると信じている。
なぜなら、彼らの《精神》が理解できるからだ。

遠慮無く僕から《馬鹿》のレッテルを貼られた気の毒な無実の隣人たちが増えるにつれ、僕は思い上がった結論にいたった。
人類《総お馬鹿》なら、いっそ、《人間》なんか地球上からいなくなればスッキリ綺麗な美しい地球を「取り戻せる」ではないか?!
『人類皆殺し』だ!
ではどうやって実現する?
そうだ、子供が生まれなくなればいいのだ!!
不妊になるウィルス開発し散布すれば、やがて人は数を減らしてゆき、最終的にはいなくなる。
狂ってる。ああ、狂ってるし病んでる。
こんなくだらない事を大まじめに考えていた時期があった。
しかし、こんな「下らないこと」を本当にやってる連中がいることに311以降知ることになった。
言うまでもないが、その連中のことを素直に『嫌悪』した。

子供が生まれ、人の親となり、普通に「人間」として「親」として生きていける立場になったから、『人口削減』などと稚拙なことを考えている連中のことをストレートに忌み嫌えるけれど、少し前まではそれ自体はまるで鏡に写った自分だったのだ。
だから、彼らの発想も理解できなくもないし、何だか郷愁…長い間、忘れていたキャンパスの机の上の鉛筆の臭いのような愛着に限りなく近いものすら感じる。
ワン・ワールドの人達の考えていることはどこか奇妙な地下水路で僕と結びついている。
今は立場が違うけど、《情熱》とか《不正に対する潔癖なまでの憎悪》とか《醜いもの》とか、少年がそんな対象の子供をよってたかっていじめるあの感覚に近い《純粋さ》と《無垢》と《愚かさ》は何か決定的に一致しており、他人とさえ思えない、共通の心の傷なのか。

恐怖散布

情報は不鮮明だったり、多すぎたりするとその品質を落とす。
連日のようにケムトレイルとか集団ストーカー、人口地震や本当の自然地震、有害物質による大気汚染、食品汚染の情報が連日、ソーシャル・ネットワークのタイムラインを流れていく。
しかし、今一度、その情報を洗ってみるのも良くはないか?
つまり、全体の集合的効果のほうが甚大な被害ではないかと思えてきたからだ。
つまり単にそれは《恐怖》を散布してるだけではないか。
広く《恐怖》を人々の心に根付かせることでも、嫌が上でも《救済》を求める気持ちを想起させるのが本当の目的ではないのか。

審判の日

日月神示が言ってるような世の中「ぐれん」とひっくり返るとか、アセンション(次元上昇)とか言うものは、実はそんな仰々しいことではなくて、単純に価値変換のことではないかと思う。

今は「貨幣経済」の時代であり、その《貨幣》の価値定義がマルクス経済学などで言われているような、半ば自然科学的要素というより、銀行・金融資本の詐欺の技法が密かにスタンダードとしてまかり通っているということにほかならない。

もし、この《金=貨幣=価値》が実質的な《価値》に戻るようなことがあれば、まやかしの《貨幣=価値》で支配的な権力を掌握している人たち、いわゆる《エリート》の《価値》が暴落し、一夜にして全てを失い、乞食同然になるということだ。

汚らわしい旧時代の言葉を用いいて喩えるならば、安倍首相より東海アマの方がセレブリティということだ。
実際、ネットではそんな部分もあり、《価値基準》ほど軽量で動的なものは、この世界には存在しない。

暴力革命などという、スペクタクル・フィクションとしてのシナリオも必要がなく、科学の実験で色が変わる水溶液のように、一瞬にしてえ変わってしまう。
そんなものではなかろうか?

おそらくは一番危機感を持っているエリートたちが対処法として実行しているのは、数々の陰謀論者たちを野に放ち、せいぜい本当の《審判の日》に猶予を与えてるだけだ。

ヘンプポポリンプペペンデリア

「ヘンプポポリンプペペンデリア」
「ヘンプポポリンプペペンデリア」
「ヘンプポポリンプペペンデリア」
「ヘンプポポリンプペペンデリア」

この数日誰もが口にして、その意味はようとしてつかめない奇妙な言葉に、村の住民たちは半ば諦めかけていた。
「ヘンプポポリンプペペンデリア」
ある朝、街路樹のひときわ目立つ太い枝にとまった九官鳥がそう鳴いた。いや、喋った。
「ヘンプポポリンプペペンデリア」
固唾を呑む公園のベンチの老人たちの前で次こう鳴いた。いや、喋った。
「永遠回帰」

老人たちは目の前に落としておきながら、見つけられずにいた老眼を発見したかのように歓声を上げた。

それから数日後、村を通りかかった旅人が市街地の役所の壁に貼られた奇妙な横断幕に目を留めた。
「アカデミズムの九官鳥ヘンプポポリンプペペンデリア。村に文化の黎明」

旅人は役所の向かいの公園のベンチの人のよさそうな老人に九官鳥の経緯を聞いた。
旅人には、この村の住民たちが生きる哲学ということを知らなすぎて、九官鳥のしゃべる難しい哲学用語に酔いしれて、人生を省みるようになったのだということがおぼろげに想像できた。
そしておもむろにリュクサックからマスクを取り出すと足早に村を後にした。

「この村の住民は知らないのだ。市街地を中心に比較的、情報媒体を鵜呑みにしがちな低所得層のスラムを中心に鳥を媒体とするウィルスと、鳥に対し尊敬の念を持ってしまう一種の催眠術が広がっていることを…。この盛り上がりようから時間の経過を逆算すると、もう手遅れだ。国家の中央大学ですら権威を失っているというに…。」