「アート」カテゴリーアーカイブ

「馬鹿な!国民の味方でない帝国の軍艦、そんな理窟なんてある筈があるか!?」
















「我帝国の軍艦だ。俺達国民の味方だろう」

「いや、いや……」学生は手を振った。余程のショックを受けたらしく、唇を震わせている。言葉が吃(ども)った。

「国民の味方だって? ……いやいや……」

「馬鹿な! ――国民の味方でない帝国の軍艦、そんな理窟なんてある筈があるか」

「駆逐艦が来た!」「駆逐艦が来た!」という興奮が学生の言葉を無理矢理にもみ潰してしまった。

 皆はドヤドヤと「糞壺」から甲板にかけ上った。そして声を揃えていきなり、「帝国軍艦万歳」を叫んだ。

 タラップの昇降口には、顔と手にホータイをした監督や船長と向い合って、吃り、芝浦、威張んな、学生、水、火夫等が立った。薄暗いので、ハッキリ分らなかったが、駆逐艦からは三艘汽艇が出た。それが横付けになった。一五、六人の水兵が一杯つまっていた。それが一度にタラップを上ってきた。

 呀ッ! 着剣をしているではないか! そして帽子の顎紐をかけている!

「しまった!」そう心の中で叫んだのは、吃りだった。

 次の汽艇からも十五、六人。その次の汽艇からも、やっぱり銃の先きに、着剣した、顎紐をかけた水兵! それ等は海賊船にでも躍り込むように、ドカドカッと上ってくると、漁夫や水、火夫を取り囲んでしまった。

「しまった! 畜生やりゃがったな!」

 芝浦も、水、火夫の代表も初めて叫んだ。

「ざま、見やがれ!」――監督だった。ストライキになってからの、監督の不思議な態度が初めて分った。だが、遅かった。

「有無」を云わせない。「不届者」「不忠者」「露助の真似する売国奴」そう罵倒されて、代表の九人が銃剣を擬されたまま、駆逐艦に護送されてしまった。それは皆がワケが分らず、ぼんやり見とれている、その短い間だった。全く、有無を云わせなかった。――一枚の新聞紙が燃えてしまうのを見ているより、他愛なかった。

 ――簡単に「片付いてしまった」

小林多喜二 蟹工船

ミイラ山に陽は落ちて

「ドラえもん」の子供たちの遊び場はセメント管がおかれた空き地だ。
僕らが少年時代だった頃はああいった開発途上の土地は絶好の遊び場であり、特異で奇異な幻視の空間でもあった。
さしずめ現代の子たちはサイバースペースというところか…。

僕は(その当時の子ならだれでもそうであったように)映画やテレビの影響もあってロボットが好きだった。
年代によっていキャラクターは「鉄腕アトム」「鉄人28号」「ジャイアントロボ」「マジンガーZ(これは自立型ロボットではなく、むしろ後に出てくるモビルスーツだが…。)」となっていくと思うが、それは少年が機械と(あたかも生き物であるかのように)精神的に結びついた地層のようなものだろう。

開発途上の土地にはいろいろな廃材があるものだが、とりわけ、何らかの電子機械が激しい工事のために破損し、放置されたプリント基板などは、少年の心に「ロボットが作れるかもしれない」という類の一抹の妄想に火をつけるには十分足りうるものだ。
使える使えないは二の次だ。
なぜなら、少年たちに工学の知識がない。
あるのは自分専用の奴隷ロボットを所有するという熱い「切望」だけだ。

僕が半年という極めて短い期間暮らした福岡市の東には開通間もない新幹線が走っており、宅地開発のために森林が伐採され禿山になった山は造成され、自然の滑らかさを失い、人工的なグリッドに整備されつつあった。
開発は良いことだといってはばからない時代を追い風に…。

僕ら少年たちはミイラの寝姿に似ていることから、この無残な山を「ミイラ山」と呼んでいた。
日没の頃、広場に立つとミイラ山に陽が落ちるのだった。
一日の終焉。手付かずの山の終焉。人間の終焉である《ミイラ》という語彙を用いたのは感覚的に少年たちが終焉を意識していたのかもしれないな、などと最近思う。

当時、僕は最愛の祖父を失った。
大切な人間が《死ぬ》という理不尽さに決着をつけられず、そのはけ口に金属でできた不老不死の他者(友だち)を作りたいと思っていたのかもしれない。
決して死なない、裏切らない、いつもそばに居て、頼もしいロボットを。

夢野久作

地元福岡の奇譚作家、夢野久作。
私が学生時代の頃、「ドグラ・マグラ」のブームであったこともあり、思い入れの作家であると同時に彼を取り巻く人(特に彼の父親である戦時中の大物フィクサー、杉山茂丸など右翼団体、玄洋社コネクション)のネットワークが日本の闇の歴史と直結しているように思えて、妄想膨らむ、知的好奇心の仕入れ先とでも言える存在。

夢野久作 – Wikipedia

夢野久作をめぐる人々

作家別作品リスト:夢野 久作