祖母のこと

「三度々々の食事だってままならなかっただろうに…。」

母方の祖母は亡くなる前、この言葉を何度も何度も繰り返していた。

親戚の名前を全て言うのを繰り返していた。

僕の知ってる祖母は、どこか狡猾で抜け目がなく、皮肉屋で、頭がいい。

ニヒルでクールなばあさんだった。

かなり晩年まで東京の狛江に一人で住んでいた。

僕は仕事の出張で銀座に1ヶ月滞在した時に会いに行った。

その時にはすでに、痴呆も進んで、僕の知ってる、矍鑠とした祖母ではなかった。

「三度々々の食事だってままならなかっただろうに…。」

これは先立った祖父への感謝の意味と思う。

でも、これはもうひとつのメッセージが含まれており、僕に向けても言っている。

「三度々々のご飯さへ食べてゆければ大丈夫だからね。」の意味だった思ってる。

当時の職場は恐ろしく激務でストレスもかなり溜め込んでいた。

祖母は昔から、そんな人の心の中を読み、深い言葉をかける機知に富んだ人だった。

また戦中、戦後の激動の時代を生きた祖父母たちにとってその後の「心」をないがしろにした虚飾の繁栄に対するリセット魔法の呪文だったかもしれない。

祖父母は戦時中の「狭い日本にゃ住み飽きた」という、今で言うところの「食べて応援」のような無責任な官製キャンペーンに疑問を感じながらも満州に渡った。

二人は駆け落ちという大恋愛の末、結ばれ5人の子宝に恵まれた。

なんとか祖父を戦場に送らない策を重ねたが、戦況の悪化はそれを許すはずもなく、あの凄惨な対露戦線に編入されることになった。

程なく戦争は終わり、祖父はあの過酷なシベリアから命からがら逃走し、祖母のもとに帰ってきた。

平和な社会が当たり前の僕らからすると、その凄まじい家族の歴史はおよそ想像だにできない。

小洒落て、すかして、自分の本当の気持も水割りにしてしゃあしゃあとごまかし、まやかしの「戦後民主主義」のもと、ふにゃふにゃに育った僕らには理解できない。

あの二人には「濃厚」で「掛け値なし」の本気の「愛情」があったに違いない。

固く結ばれた二人はいろんな問題にぶち当たりながらも、経験が力となり、幸せな人生を全うした。と僕は信じている。

祖母の部屋を去る際、いつまでもベランダから手を振っている祖母の姿が最後の姿になった。

僕はそうなることも半ば理解していたし、おそらく祖母もそう思ったに違いない。

だけど、どこか子供じみて、小さな女の子のようだった。


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