審判の日

日月神示が言ってるような世の中「ぐれん」とひっくり返るとか、アセンション(次元上昇)とか言うものは、実はそんな仰々しいことではなくて、単純に価値変換のことではないかと思う。

今は「貨幣経済」の時代であり、その《貨幣》の価値定義がマルクス経済学などで言われているような、半ば自然科学的要素というより、銀行・金融資本の詐欺の技法が密かにスタンダードとしてまかり通っているということにほかならない。

もし、この《金=貨幣=価値》が実質的な《価値》に戻るようなことがあれば、まやかしの《貨幣=価値》で支配的な権力を掌握している人たち、いわゆる《エリート》の《価値》が暴落し、一夜にして全てを失い、乞食同然になるということだ。

汚らわしい旧時代の言葉を用いいて喩えるならば、安倍首相より東海アマの方がセレブリティということだ。
実際、ネットではそんな部分もあり、《価値基準》ほど軽量で動的なものは、この世界には存在しない。

暴力革命などという、スペクタクル・フィクションとしてのシナリオも必要がなく、科学の実験で色が変わる水溶液のように、一瞬にしてえ変わってしまう。
そんなものではなかろうか?

おそらくは一番危機感を持っているエリートたちが対処法として実行しているのは、数々の陰謀論者たちを野に放ち、せいぜい本当の《審判の日》に猶予を与えてるだけだ。

1月

おめでとう!諸君は見事にアセンションに乗り遅れた《間引かれる側》の人間たちだ。ともに天を呪い地を這おう。地獄の沙汰もあれ次第。天性のランダム意図なしキュレーションxtraでございますぅ。

ヘンプポポリンプペペンデリア

「ヘンプポポリンプペペンデリア」
「ヘンプポポリンプペペンデリア」
「ヘンプポポリンプペペンデリア」
「ヘンプポポリンプペペンデリア」

この数日誰もが口にして、その意味はようとしてつかめない奇妙な言葉に、村の住民たちは半ば諦めかけていた。
「ヘンプポポリンプペペンデリア」
ある朝、街路樹のひときわ目立つ太い枝にとまった九官鳥がそう鳴いた。いや、喋った。
「ヘンプポポリンプペペンデリア」
固唾を呑む公園のベンチの老人たちの前で次こう鳴いた。いや、喋った。
「永遠回帰」

老人たちは目の前に落としておきながら、見つけられずにいた老眼を発見したかのように歓声を上げた。

それから数日後、村を通りかかった旅人が市街地の役所の壁に貼られた奇妙な横断幕に目を留めた。
「アカデミズムの九官鳥ヘンプポポリンプペペンデリア。村に文化の黎明」

旅人は役所の向かいの公園のベンチの人のよさそうな老人に九官鳥の経緯を聞いた。
旅人には、この村の住民たちが生きる哲学ということを知らなすぎて、九官鳥のしゃべる難しい哲学用語に酔いしれて、人生を省みるようになったのだということがおぼろげに想像できた。
そしておもむろにリュクサックからマスクを取り出すと足早に村を後にした。

「この村の住民は知らないのだ。市街地を中心に比較的、情報媒体を鵜呑みにしがちな低所得層のスラムを中心に鳥を媒体とするウィルスと、鳥に対し尊敬の念を持ってしまう一種の催眠術が広がっていることを…。この盛り上がりようから時間の経過を逆算すると、もう手遅れだ。国家の中央大学ですら権威を失っているというに…。」