共産主義の言うところの「計画経済」というのは、個人的に、人や社会の統計から最適な需要と供給のバランスを科学的に分析し、最適なサイクルで世の中を動かしていくものだと、長い間、勝手に期待していたけど、今一度、冷静になって、企画者としてのエリート、当の共産党員の立場になって考えてみると、人や経済システムの傾向を分析するより、むしろ個人を経済サイクルに則した形にフォーマットした方が容易いのではないかということに思い至った。つまり、共産主義、ないし社会主義というのは、人間を画一的で、把握しやすい形に「教育」することで見通しのきく経済サイクルを目指す運動であれば、実現可能ではないかと…。個人から財産をうばうこと(賃金労働者化)で、経済的に自立できなくし、社会に依存しなければき生きて行けなくすることで、利用しやすいパーツ、完璧な計画経済の一要素(労働力)として認識されるべきなのだろう。そこには、ばらついた個性や、個人の理想や欲求は相容れないものと否定されるであろう。「右と言われりゃ、右を向き、とても幸せ♪」という指示待ちに幸福を感じる完璧な奴隷こそ、理想の「人間」とされるべきなのだろう。
西側の永続的な反共産主義とソビエト崩壊で、「共産主義」という幽霊はさしずめ死んだかのように見える。冷戦とはそのために企画された対立構図だったのだろう。それは、よもやその「共産主義」的な社会主義が実現しつつあるなどと、人々が想像もできないようにするためのカラクリだったのかもしれない。
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こんな晴れた気持ちのいい日には。
こんな晴れた気持ちのいい日には、誰かと連れ立って空の下で何も考えず時間を過ごしたい。
もともと人を信用しない、単独行動が得意な僕ですらそう思う。
そんなすきを狙って、懐に潜り込む者がある。
気づかないけどあるんだよ。
遠く中東では凄惨な血で血を洗う殺し合い。
僕らはスクリーン越しそのことを知っているけど、殺し合いをやっているわけではない。
情報でしかないこのことを、間抜けな僕らは差異に良心を苛まれ、しっかり心に《原罪》をセットする。
だけど、僕らの周辺、心の奥底に張り巡らされた(光ファーバー、メタルワイヤから視神経を抜けた先の神経細胞の)ネットワークに至るまで、諜報活動、略奪、謀略、暗示という殺人兵器など、ありとあらゆる手段を用いた「見えない戦争」が起きてる。
クラウゼヴィッツ的に言うなら「戦争とは他の手段をもってする生活の継続である」。
僕が「安息」や「幸福」、時には「悦楽」を求めた時にはデフェンスを超えて大挙した軍隊は流れ込み、あっという間にとりこにされる。
比喩の話ではない。
《マインド・コントロール》はこれら個人的な心の中に起こった、いわば人質状態。
僕らは日々「脅され」「騙され」「奪われ」続けて時間を経過させている。
悲しいかな。
それでも、こんな晴れた気持ちのいい日には、誰かと連れ立って空の下で何も考えず時間を過ごしたい。
《戦争》は続く。
《負け》を認めてもいい相手がいることは、幸せかな。
我道を血で染めど、君の肉片に語るすべなく
お前らが、俺の行く先で死にたがる《わけ》はわかった。
無分別でお人よし、常識のない口の軽さが、お前らの死に至るを語ることを期待しての事だ。
数年来、俺は非情にもそのことを罵り続けてきた。
それは、俺がまだ、まんまと社会に溶け込めず、けれど社会に左右され続けていた苛立ちのなせる技。
今は、もう、お前らの要求は飲み込めた。
お前らは無責任にもこのまぐれ者の奇妙なアブラムシに、社会への抗議を代弁させようとしているのだ。
わかった。
語ってやろう。
どんな具合に列車にぶち当たり、どんな具合に身体がありえない形にねじれ、どれくらい痛かったのか…。
どれくらい社会の重圧がお前らを襲いかかり、悲鳴をあげながら損壊したか…。
されど、俺には確固たる資料はその四散した身体の肉片のみであり、俺は可能であればそれをつぶさに記録し世に問うてみたい。
お前らがどうして俺を選んだのかよくわかっている。
お人好しにして、メシア気取りの《うつけもの》。
見当違いな側溝の爪の垢を、俺は世に問うだろう。
かつてお前らが、この世に《人》として大地を踏み鳴らし、されどその幸福を享受できなかったということを。
遠慮なくぶちまける馬鹿者はこの俺だ。
俺がわめかなければ、お前らはただ道を塞いだ塵芥のように吐き出され、忘れ去られるからだ。
歌おう。お前らが体を張って表現した社会の《暴力》を。
祖母のこと
「三度々々の食事だってままならなかっただろうに…。」
母方の祖母は亡くなる前、この言葉を何度も何度も繰り返していた。
親戚の名前を全て言うのを繰り返していた。
僕の知ってる祖母は、どこか狡猾で抜け目がなく、皮肉屋で、頭がいい。
ニヒルでクールなばあさんだった。
かなり晩年まで東京の狛江に一人で住んでいた。
僕は仕事の出張で銀座に1ヶ月滞在した時に会いに行った。
その時にはすでに、痴呆も進んで、僕の知ってる、矍鑠とした祖母ではなかった。
「三度々々の食事だってままならなかっただろうに…。」
これは先立った祖父への感謝の意味と思う。
でも、これはもうひとつのメッセージが含まれており、僕に向けても言っている。
「三度々々のご飯さへ食べてゆければ大丈夫だからね。」の意味だった思ってる。
当時の職場は恐ろしく激務でストレスもかなり溜め込んでいた。
祖母は昔から、そんな人の心の中を読み、深い言葉をかける機知に富んだ人だった。
また戦中、戦後の激動の時代を生きた祖父母たちにとってその後の「心」をないがしろにした虚飾の繁栄に対するリセット魔法の呪文だったかもしれない。
祖父母は戦時中の「狭い日本にゃ住み飽きた」という、今で言うところの「食べて応援」のような無責任な官製キャンペーンに疑問を感じながらも満州に渡った。
二人は駆け落ちという大恋愛の末、結ばれ5人の子宝に恵まれた。
なんとか祖父を戦場に送らない策を重ねたが、戦況の悪化はそれを許すはずもなく、あの凄惨な対露戦線に編入されることになった。
程なく戦争は終わり、祖父はあの過酷なシベリアから命からがら逃走し、祖母のもとに帰ってきた。
平和な社会が当たり前の僕らからすると、その凄まじい家族の歴史はおよそ想像だにできない。
小洒落て、すかして、自分の本当の気持も水割りにしてしゃあしゃあとごまかし、まやかしの「戦後民主主義」のもと、ふにゃふにゃに育った僕らには理解できない。
あの二人には「濃厚」で「掛け値なし」の本気の「愛情」があったに違いない。
固く結ばれた二人はいろんな問題にぶち当たりながらも、経験が力となり、幸せな人生を全うした。と僕は信じている。
祖母の部屋を去る際、いつまでもベランダから手を振っている祖母の姿が最後の姿になった。
僕はそうなることも半ば理解していたし、おそらく祖母もそう思ったに違いない。
だけど、どこか子供じみて、小さな女の子のようだった。
黙示宣言
僕は《邪悪》を内在することで、この社会が何をどうしたいのか、おおよそ信じがたい方向について敏感に理解できる。
僕は彼らの《悪意》がよく理解できる。
それはドクター・ハンニバル・レクターが異常者の心を熟知しているのとよく似てる。
ひょっとすると《泣き所》もわかるのかも。
《泣き所》探求は正直な話、自分の傷をえぐるような行為なので、痛いけど、少なくとも《エリートたち》とともに《悪行》の内訳くらいはひけらかせえそうな気がする。
少なくともそれをするために僕はいるのかも。
死者の書
先日、福岡市美術館の「古代エジプト展」にて「死者の書」を観てきた。
僕は正直、死んだ後もまた世界があるという、いわゆる「死後の世界」というものには興味がない。
これだけ不条理な世界に生まれて、死んだ後もまた世界があるなど「無限地獄」としか言いようが無いと考えるからだ。(最近は現世が愛おしいと思えるようになったが…。)
死んだらもう二度と目覚めない睡眠のように、安らかに眠らせていただきたいと思うのだ。
したがって、これほどまでに忌み嫌う「死後の世界」の旅の話をまとめた書物など興味など有ろうはずもなく、重点的に観るは、ヒエログリフの美、描かれた象徴(クリーチャー?)、そして、金目のお宝ということにして臨んだのだ。
なるほど文字は「マニュスクリプト」と呼ばれる手描きの文字(当然だが…w)。これは実に美しい。断言する。これは一見の価値がある。
死んでから再生するまでの長い道のり、試されたり、貢いだり、それはもう現実世界同様、気の滅入るプロセスなのだが、この美しい文字で記された「方法(マニュアル)」が難局を乗り越える術を示しているのだ。
それはさながら平家の落人亡霊から芳一を守るために和尚が書き連ねられたお経の如き威力を持っており、棺桶からミイラ包に至るまでびっしり書かれている「ありがたい」お言葉なのだ。
所狭しと現れる、ユニークなキャラクターの数々。キメラ生物のようなハイブリッドなものや、緑色の顔したオシリスなど馴染み深いもの。
今回、僕が個人的に最も興味深いと思えたのは「蛇」だ。
蛇は場面場面で刃物で切断されるのであるが、蛇を「情報(DNA螺旋)」と見る向きもあることを考えると、この「切る」行為は非常に興味深い。
また、画像を見つけることができなかったが、翼を持った「蛇」も描かれていた。
アステカ、マヤの神「ケツァルコアトル」と同じ造形なのだ。
エジプトの翼を持った蛇は「ヘロドトス」と呼ぶらしい。(ex. 翼のある蛇(ヘロドトス))
「蛇」もさることながら、「ピラミッド」という、よく似た建造物をとっても、エジプトはマヤ、アステカと共通の文化の上に成り立っているのでは?と思わせるのである。
また、twitterで話題の(おばけのQ太郎のような)彼や、NetscapeのMozillaくんにそっくりな、ちょっとおなかの出たワニのような(なんとなくトーベ・ヤンソンが描く「ムーミン谷」の住民のような)キャラクター(残念ながらネット上に写真を見つけることができなかった。)など、およそキリストよりも1000年近く古いビジュアルとは思えない現代的なデフォルメを見ることもできる。
ミイラを作る際に取り出される内臓を収める専用の入れ物などは、スターバックスでコーヒーを入れてもらえるかのようですらある。
ふと、思ったのだが…所蔵は「大英博物館」主催は「三菱」。
これらモダンなキャラクターを見ているうちに、なんとなく、だんだん、一杯食わされているような気がしてきた。
「大英博物館」は大英帝国が世界征服で得た略奪品の数々を収める専用アーカイブだ。
「三菱」は幕末のどさくさに英国商人グラバーと組んで巨万の富を得た一大財閥。
私だけだろうか…。うっすらと「ロッジ」とか「陰謀」の文字を感じるのは…。
余談だが、僕は「ミイラマスク」というものは純金製のマスクだとずっと思っていた。
当然だが、そんなはずもなく、あれは紙製のマスクに金箔を貼った、たいそう軽いマスクなのだ。
人はただダラダラと生きている
先日、僕はすごく気持ちのいいtwitterのDMを頂いた。
その前日に、DMの送り主であるティーンネイジャー女子から、いささか不遜な悪態を受けていたのだ。
実際、僕は、そんなことは、これっぽっちも不愉快とは思っていなかった。
むしろ悪態までつかれる間柄になっていることに、若干の歓びすら感じていたのだ。
《謝罪》だった。
言うまでもなく人類史上稀に見る原発事故を起こした東京電力の、その当事者であり、最高責任者である勝俣氏の会見を僕はネットでリアルタイムで見ていた。
形式的な《謝罪》はあったものの、結局、話の内容は申し開きどころか、事故の責任は自然災害である地震であるという開き直った内容であり、これを聞いて日々恐怖に苛まれている福島県民はどのように思うだろうと僕は思った。
ティーンの彼女にできることを、このいい齢を召した、こともあろうに通常の人間とは格段に違う地位にある、この男には出来ないのだ。
僕の周囲にもいい齢をして、申し開きも《謝罪》もできない大人はゴマンといる。
ひょっとしたら僕もその一人かもしれない。
常々、若者と接して思うことは、彼らの方が考え方も、人間性も、僕らよりよっぽどしっかりしているということなのだ。
歳を重ねるごとに、人間はダメになっている印象だ。
その最たるものが前出の勝俣氏である。
儒教的には「齢の功」というものがあるが、これは、明らかに「間違い」であることを、今回の311以降思い知ることになった。
僕ら多少なりともバブルの恩恵に浴した人間は《クズ》、戦後民主主義という一見肯定的だけど、何かおかしい時代の空気に押し流されただけのご年配のベビーブーマーは、僕らに輪をかけて《クズ》である。
実際、先日の世田谷の立てこもり事件でもわかるように、ああいったくだらない凶悪事件のほとんどが60歳以上の、昔なら《ご隠居》と呼ばれた世代によって運営されている次第である。
少し前に僕は20年前の自分のものの考え方の方が正しかったとい事に気がついた。
本来な歳を重ねれるごとに「経験」が積み重なり、円熟の時を迎える、というのがステレオタイプ的な人間の人生だったが、これはあくまで誤った《幻想》の類だったに違いない。
ひょっとするただ、ダラダラ時間をやり過ごすことで人間は「正しく」形成されるという考え方を植え付けることは、現状の問題から目を逸らさせる、言わば「麻薬」効果だったかもしれない。
昨日よりは今日のほうが「進歩」「進化」「発展」しているという成長神話をパーソナライズした洗脳だ。
オートマティックなエスカレーター式年功序列フォーエバー。
気狂い老人の後始末を非力で片付ける子どもたち。放射性廃棄物が降り注ぐ、小さな小さな島国。
そんな六道のようなビジョンが僕の脳裏に焼き付いて、もう離れない。
上海
お茶の水博士がいてもおかしくなさそうな上海。
少なくとも没落した日本からやってきた者にはそう目に写った。
空港から市街地へ向かうリニアモーターカーの速さは夢の出来事のようであり、ハイウェイは5、6車線だったと思う。
こんな勢いのものに日本は太刀打ちできるものか。
敗北感と中国4000年のスケール・メリットにリスペクトとを抱くのに、そう時間を要しなかった。
しかし、数年前のそんな上海の賑わいを見た時ですら、これは「バブル(虚構)」だと思った。
日本のバブル期と同じ空気だった。
没落が始まり、やがて陽を見るよりも明らかに物事が悪化していくの身体で知っている日本人には、その「虚構」臭、「インチキ」臭は痛いほどよく解る。
中国経済が危ぶまれて久しい。
多くの企業が(未だに)生産拠点を中国に求めているのは、バブル崩壊とその後の馬鹿げた「構造改革」に原因があり、また中国の没落に間に合わせた罠であったかのようにさえ思える。
僕は中国に大陸に活路を求めた大陸浪人、その後に続く関東軍の群れを今の海外進出企業に見る。
待ち伏せしたかのように蒋介石と毛沢東は手を結び、行く手を阻まれ、逃げる決断も出せず…。
やがて泥沼化し、終戦を迎える。
反原発、中上健次、新宮市、大逆事件
今月12日に東京都新宿区内でタクシーにはねられ重傷を負った若松孝二監督(76)が17日、搬送先の病院で死亡した。若松監督は連合赤軍を題材にした作品などで知られ、海外での評価も高かった。
若松監督は12日午後10時10分ごろ、新宿区内藤町の都道を横断しようとしたところ、タクシーにはねられ、頭や腰を強く打った。現場は片側2車線の直線道路で、横断歩道のない場所だった。タクシーにスピード超過はなく、警視庁四谷署が事故原因を調べていた。同署によると、16日の段階では容体は安定していた。(中略)
ベネチア映画祭では「死ぬまでに東電の原発の話を作りたい。本気でケンカしてやろうと思う」などと意気込みを語っていた。
【ベネチア(イタリア)4日=大塚美奈】ベネチア国際映画祭のオリゾンティ部門に招待された若松孝次監督(76)が、最新作「千年の愉楽」(主演・寺島しのぶ)の公式上映を行った。(中略)
新作について「自分は映画で戦うしかない。東電の原子力(原発事故)の話を死ぬまでに必ずやりたい。国が隠そうとしているものを全部ぶちまけたい」と世界のメディアを前に熱く語った。
「若松監督「原発映画必ずやる、国が隠そうとしているもの全部ぶちまけたい」」:イザ!
作品の舞台は和歌山県新宮市。色事師やヤクザなど、特殊な事情を抱えた若者の生き様を神話的世界観で描く。
中上 健次(なかがみ けんじ、本名同じ、結婚前までは「なかうえ」、1946年8月2日 – 1992年8月12日)は、和歌山県新宮市生まれの小説家。和歌山県立新宮高等学校卒業。妻は作家の紀和鏡、長女は作家の中上紀、次女は陶芸家で作家の中上菜穂。
被差別部落の出身であり、部落のことを「路地」と表現する。
明治天皇を爆裂弾で暗殺しようとした計画が発覚、この事件をきっかけに多くの社会主義者、アナキストに対して取り調べや家宅捜索が行なわれ、社会主義者を根絶する弾圧を政府が主導し、捏造したとされる事件。戦後に関係資料が発見されて事件の全容が明らかになった。
(中略)
日本国憲法施行後、1960年代に復権の動きが起こり、「大逆事件の真実をあきらかにする会」を中心に、再審請求などの運動が推進された。2001年には新宮で犠牲者を顕彰する会が生まれるなど、今猶事件の検証と犠牲者の復権への運動は続いている。
経団連万歳!などとツイートしてたら、それはきっと《なりすましウィルス》。
俺とのコミニュケーションに躊躇するような想像力の欠落した凡人と暇つぶして人生を無駄遣いする時間的余裕はございません。「経団連万歳!」などとツイートしてたら、それはきっと《なりすましウィルス》。
11月からつぶやかなくなったら、さようなら。
天性のランダム意図無しキュレーション、トリックスターxtraでございます。
(便利な使い捨てタイプです。)