切れる

どうやら僕は、僕の言うことを理解できない人に対してすごく「切れる」ようだ。

先日の「ミイラ山」周辺のコンクリートで作られた人工の用水路でのエピソードを思い出した。
子供なら誰しもやったであろう笹舟の競争でのこと。
僕と友人はいつもの様に笹舟レースで競い合っていた。
突然友人の船が失踪した。よく見ると後方の縁に引っかかって座礁していた。
友人が騒ぎ出したので、座礁している方向を指さしたが、友人の目には船が見えないらしい。
「見えない!見えない!」と、あまりに騒ぐので「この馬鹿やろう!」と友人の後頭部に蹴りをお見舞いして、コンクリートの用水路にたたき落としたのだ。

普通に考えれば、その程度のことで立腹する精神のほうがどうかしている。
自分が示したり、説明してしたりして、相手が言ってることの意味を理解できない時などに、このような血で血を洗う惨劇が、僕の人生の節目節目で繰り返されてきたように思う。
もちろん、血を流すのは自分ではなく僕と対峙した気の毒な隣人たちではあるのだが、昨年であった大切な人から意味不明な「怒り」の裏側には何かどうしようもなく切実なコンプレックスのようなものが隠されていると教わっていたので、さらなる犠牲者を増やさないためにも原因の究明に乗り出してみた。
昨年は随分「別離」のことで心を病み、その時に徹底的に自分を整理したので、わりかし簡単に答えが出た。

僕は生まれて間もない頃、母親の職業上の理由から「放置」されていた。おそらくはその経験から、自分の「願望」を察知し得ない、母親への「無理解」に対し強烈な「怒り」を温存していたのに違いない。
僕の言うことに《理解》を示せない者への《苛立ち》はこれが原因なのだ。

だから、僕は大人になってから「どうしてこんな簡単なことが理解できないのか?」と思うようなシチュエーションに対して、比較的愚鈍な輩に出くわすと、相手を遠慮なくdisってきたのだ。

イルミナティといわれる闇の権力者集団がいると言われている。
《都市伝説》として語られる存在ではあるが、僕はいると信じている。
なぜなら、彼らの《精神》が理解できるからだ。

遠慮無く僕から《馬鹿》のレッテルを貼られた気の毒な無実の隣人たちが増えるにつれ、僕は思い上がった結論にいたった。
人類《総お馬鹿》なら、いっそ、《人間》なんか地球上からいなくなればスッキリ綺麗な美しい地球を「取り戻せる」ではないか?!
『人類皆殺し』だ!
ではどうやって実現する?
そうだ、子供が生まれなくなればいいのだ!!
不妊になるウィルス開発し散布すれば、やがて人は数を減らしてゆき、最終的にはいなくなる。
狂ってる。ああ、狂ってるし病んでる。
こんなくだらない事を大まじめに考えていた時期があった。
しかし、こんな「下らないこと」を本当にやってる連中がいることに311以降知ることになった。
言うまでもないが、その連中のことを素直に『嫌悪』した。

子供が生まれ、人の親となり、普通に「人間」として「親」として生きていける立場になったから、『人口削減』などと稚拙なことを考えている連中のことをストレートに忌み嫌えるけれど、少し前まではそれ自体はまるで鏡に写った自分だったのだ。
だから、彼らの発想も理解できなくもないし、何だか郷愁…長い間、忘れていたキャンパスの机の上の鉛筆の臭いのような愛着に限りなく近いものすら感じる。
ワン・ワールドの人達の考えていることはどこか奇妙な地下水路で僕と結びついている。
今は立場が違うけど、《情熱》とか《不正に対する潔癖なまでの憎悪》とか《醜いもの》とか、少年がそんな対象の子供をよってたかっていじめるあの感覚に近い《純粋さ》と《無垢》と《愚かさ》は何か決定的に一致しており、他人とさえ思えない、共通の心の傷なのか。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください