完璧な計画経済

共産主義の言うところの「計画経済」というのは、個人的に、人や社会の統計から最適な需要と供給のバランスを科学的に分析し、最適なサイクルで世の中を動かしていくものだと、長い間、勝手に期待していたけど、今一度、冷静になって、企画者としてのエリート、当の共産党員の立場になって考えてみると、人や経済システムの傾向を分析するより、むしろ個人を経済サイクルに則した形にフォーマットした方が容易いのではないかということに思い至った。つまり、共産主義、ないし社会主義というのは、人間を画一的で、把握しやすい形に「教育」することで見通しのきく経済サイクルを目指す運動であれば、実現可能ではないかと…。個人から財産をうばうこと(賃金労働者化)で、経済的に自立できなくし、社会に依存しなければき生きて行けなくすることで、利用しやすいパーツ、完璧な計画経済の一要素(労働力)として認識されるべきなのだろう。そこには、ばらついた個性や、個人の理想や欲求は相容れないものと否定されるであろう。「右と言われりゃ、右を向き、とても幸せ♪」という指示待ちに幸福を感じる完璧な奴隷こそ、理想の「人間」とされるべきなのだろう。
西側の永続的な反共産主義とソビエト崩壊で、「共産主義」という幽霊はさしずめ死んだかのように見える。冷戦とはそのために企画された対立構図だったのだろう。それは、よもやその「共産主義」的な社会主義が実現しつつあるなどと、人々が想像もできないようにするためのカラクリだったのかもしれない。


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