審判の日

日月神示が言ってるような世の中「ぐれん」とひっくり返るとか、アセンション(次元上昇)とか言うものは、実はそんな仰々しいことではなくて、単純に価値変換のことではないかと思う。

今は「貨幣経済」の時代であり、その《貨幣》の価値定義がマルクス経済学などで言われているような、半ば自然科学的要素というより、銀行・金融資本の詐欺の技法が密かにスタンダードとしてまかり通っているということにほかならない。

もし、この《金=貨幣=価値》が実質的な《価値》に戻るようなことがあれば、まやかしの《貨幣=価値》で支配的な権力を掌握している人たち、いわゆる《エリート》の《価値》が暴落し、一夜にして全てを失い、乞食同然になるということだ。

汚らわしい旧時代の言葉を用いいて喩えるならば、安倍首相より東海アマの方がセレブリティということだ。
実際、ネットではそんな部分もあり、《価値基準》ほど軽量で動的なものは、この世界には存在しない。

暴力革命などという、スペクタクル・フィクションとしてのシナリオも必要がなく、科学の実験で色が変わる水溶液のように、一瞬にしてえ変わってしまう。
そんなものではなかろうか?

おそらくは一番危機感を持っているエリートたちが対処法として実行しているのは、数々の陰謀論者たちを野に放ち、せいぜい本当の《審判の日》に猶予を与えてるだけだ。