陸軍登戸研究所(第9陸軍技術研究所)

【概要】
神奈川県川崎市にかつて存在した研究所。大日本帝国陸軍が所管し、各種兵器の開発研究を行った。正式名称は「第9陸軍技術研究所」。
【沿革】
1919年(大正8年)4月
前身は陸軍火薬研究所を改編させて発足した「陸軍科学研究所」のため、正式名称は「陸軍科学研究所登戸出張所」といった。
1939年(昭和14年)1月
「謀略の岩畔」との異名をとった陸軍省軍事課長・岩畔豪雄大佐が、陸軍の兵器行政の大改革を行い、兵器の行政本部、陸軍科学研究所をまとめて陸軍兵器行政本部を設け、その下に10の技術研究所を設立した。その第9研究所が現在の神奈川県川崎市東三田に置いた通称「登戸研究所」である。
1939年9月
所長には篠田鐐大佐が就き正式に発足した。
1943年(昭和18年)6月
電波兵器部門を多摩陸軍技術研究所へ移管。また、敗戦間際になるとアメリカ軍の接収を避けるため、それらの資料の殆どが処分されたため詳細はなお不明である。
1950年(昭和25年)
戦後、登戸研究所跡地は民間に払い下げられ、慶應義塾大学工学部が使用していたが、慶應義塾大学が日吉キャンパスの復興にともなって移転したため、11万坪のうち3万坪余を慶大が明治大学生田キャンパスに払い下げた。

陸軍登戸研究所

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