1910年(明治43年)8月22日に、韓国併合条約が漢城(現在のソウル特別市)で寺内正毅統監と李完用首相により調印され、同月29日に裁可公布により発効、大日本帝国は大韓帝国を併合し、その領土であった朝鮮半島を領有した。1945年(昭和20年)8月15日、大日本帝国は第二次世界大戦(太平洋戦争/大東亜戦争)における連合国に対する敗戦に伴って実効支配を喪失し、同年9月2日、ポツダム宣言の条項を誠実に履行することを約束した降伏文書調印によって、正式に大日本帝国による朝鮮半島領有は終了した。
昔日本が韓国を併合する際、日本国内でも反対論が多かった。今の韓国人は知らないかもしれないが、当時の日本の賢明な政治家や経済学者らは、近代国家観からして、教育や社会制度、その他あらゆる分野から見て、日本と朝鮮は違いすぎてこの二つの国が同じ国家としてやっていけるとは考えられない、という意見があったのだ。やれば、間違いなく日本からの一方的な支出が必要で、その負担にたえられるのか、というのである。実際歴史はその通りになってしまった。日本から朝鮮への支出は膨大なものであり、しかもそれは金銭的支出のみならず、人的にも大変な数の人々が朝鮮の近代化のために注がれたのだ。しかし、そのお陰で朝鮮は30年あまりで近代国家に切り替わった。それは殆ど奇跡的なことだったのだ。