こんな晴れた気持ちのいい日には。

こんな晴れた気持ちのいい日には、誰かと連れ立って空の下で何も考えず時間を過ごしたい。

もともと人を信用しない、単独行動が得意な僕ですらそう思う。

そんなすきを狙って、懐に潜り込む者がある。

気づかないけどあるんだよ。

遠く中東では凄惨な血で血を洗う殺し合い。

僕らはスクリーン越しそのことを知っているけど、殺し合いをやっているわけではない。

情報でしかないこのことを、間抜けな僕らは差異に良心を苛まれ、しっかり心に《原罪》をセットする。

だけど、僕らの周辺、心の奥底に張り巡らされた(光ファーバー、メタルワイヤから視神経を抜けた先の神経細胞の)ネットワークに至るまで、諜報活動、略奪、謀略、暗示という殺人兵器など、ありとあらゆる手段を用いた「見えない戦争」が起きてる。

クラウゼヴィッツ的に言うなら「戦争とは他の手段をもってする生活の継続である」。

僕が「安息」や「幸福」、時には「悦楽」を求めた時にはデフェンスを超えて大挙した軍隊は流れ込み、あっという間にとりこにされる。

比喩の話ではない。

《マインド・コントロール》はこれら個人的な心の中に起こった、いわば人質状態。

僕らは日々「脅され」「騙され」「奪われ」続けて時間を経過させている。

悲しいかな。

それでも、こんな晴れた気持ちのいい日には、誰かと連れ立って空の下で何も考えず時間を過ごしたい。

《戦争》は続く。

《負け》を認めてもいい相手がいることは、幸せかな。

「こんな晴れた気持ちのいい日には。」への2件のフィードバック

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