「自由」「平等」「博愛」新しい支配者のイメージは極めて明るい

Appleエバンジェリストという言葉がある。

ボランティアのジーニアスと言えばぴったりな気がする。

彼らはApple(多分、気分的には創業者のスティーブ・ジョブズ)への絶大な「信頼」のもと、Apple製品の広告媒体として機能している。

かく言う僕も大学を出て、制作会社のMacintoshでデザインを作っていた頃、その合理的で、夢に満ち、しかも革命をも起こせそうなビジョンに心奪われたものの一人だ。

Appleが切り拓いた「DTP」という、印刷メディアの制作プロセスの開放という「既存メディア」の破壊行為。

今でこそ、「ザ・ネット」によて広くジャーナリズムは開放され続けているけれども、当時は大手マスメディア独占のステージに風穴を開けられる予感すらあったものだった。

それ以前ですら未だかつて「コンピュータ」が足を踏み入れたことのない「家庭」に持ち込んだという偉業(Apple II)も成し遂げていたのだ。

もはやコンピュータは大陸間弾道弾ミサイルの制御と着弾位置の計測のための巨大なメインフレームだけではないという「革命」の成就した瞬間だった。

現在、パーソナルコンピュータのOSとして世界を席巻している「Windows」はAppleのMac OSの「模倣」という形で商品化されたものにほかならない。

彼らエバンジェリストが「Apple」に抱く、極めて「肯定」的なビジョンは、かつての「自由の国アメリカ」のそれとよく合致する。

「キャンパス」とまで呼ばれた自由で明るい雇用環境。

そこから生み出される、「革命」的な技術とその浸透を促すマーケティング。

かつて「資本主義」がまだ新しい「革新」を起こせると信じられた記憶がそこにはあるのかもしれない。

しかし、Appleとて醜聞がないわけではない。

先日の中国の工場の件もそうだし、iPhoneの筺体っが破損しやすい、地図アプリに不具合など、製品には常にマイナス要因がつきものであるにもかかわらず、いわゆるエバンジェリストの絶大な支持は衰えない。

Appleへの得体の知れない「期待」はそれ程に強力なのだ。

就任当初のオバマ大統領とスティーブ・ジョブスに人々が抱く、ある種の「希望」は同一の物のように思える。

そこには、「自由」「革新」「平等」「公正」といった、ポジティブなワードが空気となって散乱している。

ジョブズとオバマが同席したディナーの写真を見た時もさほど驚かなかった。

多くの人がそうであったように、僕も、少しばかりオバマ氏には期待を抱いていた。

311までは…。

おそらく、オバマ氏を支持したであろう人の希望は「平和」出会ったであろう。

しかし、戦場は収まりを見せてるとは言い難い。

「ワン・ワールド」という言葉がある。

いろんな意見がある。

最近知った世界観にこういうものがあった。

「Old World Order」vs「New World Order」

僕のイメージでは「ポケットモンスター」に出てくる「伝説ポケモン」と呼ばれる異次元界の巨大なモンスターが人知れず戦っている。そんな感じだ。

石油利権型戦争利益追求の旧資本勢力 vs 情報利権型情報利益追求の新資本

一見するところ理路整然と筋が通りそうだが、資本同士を対立勢力に描くことで、一般大衆を安心させるアセンション型安心アプローチかもしれない。

あるいは「お決まり」の「善玉・悪玉」という展開も可能だ。

ジョブズにしろ、オバマにしろ、「善玉」の「自由の象徴」であると同時に、世界を動かす牽引役であることは間違いない。

かつての王族、貴族、独裁者的政治指導者たちは、公開処刑という陰惨な「恐怖心」を煽ることで、「大衆」を統治してきた。

でも、これら、全く新しい「オーダー」の指導者たちは、ローマ帝国の娯楽同様に、何か「新しい」「夢」「公正さ」「清潔さ」を引っさげて僕らの前に現れたと思うのは考え過ぎだろうか?

今でも僕にとってはスティーブ・ジョブズは「兄貴」分的リスペクトの対象で在る。

つまり、気分的には「支配されている」意識がないだけなのだ。

そうやって「新しい帝国」は僕らの「夢」や「希望」の姿になって現れる。

誰も自らを「奴隷」とは思わない。

「労働者」の立場が「奴隷」と気づかないことと同様に…。

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