陰謀論

もう誰もメディアを信じていない。

もう誰も企業を信じてはいない。

もう誰も国家を信じてはいない。

もう誰も既存の価値観で定義された「権威」というものを信用していない。

俺が「陰謀論」を興味深く思うのは、その秘密にして広範に流布する奇異な真実やその暴露にはない。

「陰謀論」の最大の魅力は、それまで「大衆」と定義された単一的な集合体の中に、陳腐なメソッドにのせられないタイプの個人のバラバラの「祈り」「希望」「憎悪」と言ったものがディスインフォメーションのバイアスの粒子の中に、比較的大きな原石、裸石(ルース)の状態で埋没していることにある。

言い換えるならば、人々の「想い」が多様な形に姿を変えてネットという無法なメディア空間を漂っている。

その「想い」というのは、おおむねアナーキーで、家畜に甘んじてきた存在からは想像もできないほど大胆な殴り込みの姿勢に富んでおり、俺はその中に「希望」を見いだすのだ。

また、「陰謀論」が流布する環境はそれまでの「情報」のあり方に対して、ラジカルなまでに多様な「定義」を止めどなく「再提案」し続けていることにある。

思考停止な石頭には、生きてゆけるような環境でないことだけは確かだが、そこには軽薄なまでに豊富なメソッドが溢れており、可能性に関して言うならば底をつく心配はない。

言うまでもなく1%の支配層は早くもその空間にアドバンテージを取って活動している。

ひょっとすると、この世界も彼らの造物に過ぎないのかも知れない。

あるいは自分という意識体自体をも…。

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