八方塞がり

今年の僕は宗教用語で言うところの《八方塞がり》だったようだ。
そのことに気がついたのが11月に宮地嶽神社に行った時であるから、ほぼ策もねらずにがむしゃらに「塞がって」いた一年だったということである。

昨年は春先の311で引っ掻き回された一年だった。
災害の危機意識とでも言おうか、それまでの価値観を一変するに充分すぎるインパクトだったことは、僕以外の人もそうだと思う。
もちろん、何の変化もないというマイペースな(というかやはりどこかネジが外れている)人もいるけど、この際こういうタイプの人たちは気にせず先に進みたい。

今年は個人的には二つのネット絡みで大きな《出会い》があった。
その両方共が互いに《ミスマッチ》という結論に幕を閉じた。

何故《ミスマッチ》な出会いだったかというと、それは単なる自分の認識の浅さである。
僕はおそらく、今まで人間というものはおおまかに数パターンで集約できるものと考えていた。
僕も、相手も、《リアル》にあってみると、思っていたよりずいぶん「違っていた」のだ。
そして、この《ミスマッチ》の一件以降、ネットの上の人達の発言が、きめ細かく異なっていることに気がついた。
《サヨク》《ネトウヨ》など、おおまかに限定できたとしても、その境目は限りなくなめらかなグラデーションを描いている。
世界は《謎》に満ちているし、僕は人間がこれほどの「違い」に満ちて、かけがえの無いものという認識を今まで持ったことがなかった。
《カエル》と言えども、世界中の《カエル》を見るならばもよそ、どれとして同じ模様の《カエル》はいないのだ。

また今回の《出会い》がきっかけで、ここ数十年近く考えてみたこともない《自分》を省みる必要に駆られた。
そして、若い頃の生き方やスタンスが間違っていないこと、歳を重ねるごとに生きる姿勢が悪くなっていたことに気がついた。
簡単に言ってしまえば、世間一般に言われる《社会人》になるプロセスで、完璧に統治者に都合の良い《奴隷》にフォーマットされていた。
それは「反逆者」自覚を持ち得たまま可能だったのだ。

また、311以降にわかにスピリチュアルな感覚にとらわれがちだったが、それを是正する機会を得たと同時に「科学的」という教条主義について考えを改めた。
必要以上に楽観的な安っぽいポジティブな「希望」を持つという永遠の奴隷契約書にも決別した。ついでにタバコも止めた。
「今日がダメでも明日があるさ」的ポジティブ信仰路面電車の行き着く先(墓場)もよく理解した。
失敗から得た教訓だったにしても、得たものはかなり大きい。今後に活かしたい。

とは言え相手にとっては《無駄》な時間だったし、もう顔も見たくないと思っているに違いない。
でも今回の《出会い》のおかげでアンチ・キリストの僕が柄でもないのに「クリスマス・カード」を子供に用意している。
シャーロック・ホームズが宿敵モリアーティ教授から得たアイテムで身を包むように、何かしら相反するものは大切な物になるのかもしれない。古傷とでも言おうか…。
それと、一年の締めくくりにこれを言っちゃあミもフタもないのだが、結局、人は《自分》のことしか考えないよ。
自戒と愛を込めて…。アデュー。

《成長神話》という名の《利息》におさらば。あなたが背負った《原罪》とは恩着せがましい《国家》の《呪縛》じゃね?
つぶやかなくなったら、さようなら。天性のランダム意図無しキュレーション、トリックスターxtraでございます。
便利な《使い捨てタイプ》も出た!