《神話》喪失

311の大地震は多くの人の命を奪った。

それは《大地は揺れない》という《神話》を喪失させた。

《津波は来ない》という《神話》を喪失させた。

《日常は安全》という《神話》を喪失させた。

福島で原子力発電所がメルトダウンした。

冷却用予備電源を喪失させた。

それは《原発で事故は起きない》という《神話》を喪失させた。

《電力需要》という《神話》を喪失させた。

なぜなら、原発の停止をもっても未だ大規模停電には至らないという《事実》を証明してみせた。

《経済成長》という《神話》を喪失させた。

なぜなら、原発が動いていようがいまいが経済は上向かない《事実》を証明してみせた。

そもそも《経済成長》という《神話》にどれほどの値打ちがあるのか怪しい《事実》を認識させた。

《紙幣は無価値にならない》という《神話》を喪失する日もそう遠くはない。

《マスメディア》が報道する《情報》は《真実》であるという《神話》は喪失された。

彼らは、スポンサーから受け取る金額によってはいくらでも《情報》を加工、修正が可能である立場にあるという《事実》を露呈した。

さかのぼって、メディアとか関わった《過去》を再確認してみた。

ひどく「馬鹿げた」情報に右往左往していた《過去》に気がついた。

どうでもいいことを重要なことのように錯覚していたこ《過去》に気がついた。

ひどくやかましいだけの無価値な《情報》であることに気がついた。

《大学教授》が発表する《情報》は、科学的であり、解析しつくされた、限りなく《真実》であるという《神話》は喪失された。

彼らは、スポンサーから受け取る金額によってはいくらでも《情報》を加工、修正が可能である立場にあるという《真実》を証明してみせた。

さかのぼって、教育機関とか関わった《過去》を再確認してみた。

「絆」「連帯」「協調性」などという《言葉》で集団を強要され《自我》《個性》を奪われていた《過去》に気がついた。

「進化」に裏打ちされた「明るい未来」「理想の社会」への《進歩》などという《言葉》で《時間》を収奪されていた《過去》に気がついた。

「人権」「理想」「理性」などという《言葉》で《思考》を停止させられていた《過去》に気がついた。

311の衝撃は《認識》《情報》が危ういことを教えてくれた。

犠牲になった人の命を無駄にしないためにも、そのことを肝に銘じて生きていく。

これだけの衝撃にもかかわらず、覚醒めない人々を尻目に…。

《灰色の男》の人権

ミヒャエル・エンデの「モモ」に出てくる《灰色の男》たちは実在だった。

人々の「生活」、とりわけ「労働」や、人と人を結びつける「信頼」や「取引」に介在して、はじめて生きてゆける寄生虫のような「金融資本」、「金貸し」がそれだ。

ただ、せこい「中抜き」で甘んじていれば問題はないのだが、「奴ら」はもっと多くの「収益」を望む。

社会を「競争」と「消費」に明け暮れるように働きかけ、人々の本来あるべき社会からはかけ離れた「不幸」の世の中にして、なおも「収益」を望むものだ。

“余計なことを考えないように長時間《稼ぐ》ことに専念せよ。

「稼いだ」金で《消費》せよ。

「稼げなく」なったら、隣人から奪うために武器を《購入》しろ。

それでも「稼げなく」なくなったら「毒」を《購入》して、死ね!”

正直、迷惑な人達なので死んで欲しいと思うけど、そんなことを言おうものなら《灰色の男》たちの「人権」を主張し、代弁する《ヒューマニスト》とやらがしゃしゃり出る。

彼らの言い分はそんな連中でも「生きる権利」がある、というもっともらしい《理屈》に立脚している。

僕の答えはシンプルだ。

わずか数名の貪欲な気狂いの権利を守るか?

地球上の大多数の良心的にして慎ましやかな人々のどっちの命を優先するか?

という話なのだ。

《ヒューマニスト》が守りたいのは《地球上の大多数の普通の人々》でなく、一部の裕福な《グローバル・エリート》と「正しいジャッジ」を下した《自分》だけである。

これが《司法》の本質だ。

見上げた《自己性愛》。もはや「まとも」ではない。

昨今の裁判所の判例が不可解なのはそのせいだ。

「まとも」な人間には理解できない。

そもそも「人権」はフランス革命の時に《灰色の男》たちが捏造した《幻想》だ。

大多数の人間に適応させるべく作られたものではない。

ひょっとすると、いざというときのために作っておいた「逃げ道」なのかもしれない。

《灰色の男》は狂ってる。

治癒する《病気》ではなく、パーソナリティとしての《障害》だ。

治らない。治せない。改善しない。

うまく折り合いを付けて「付き合って《やる》」しか方法はない。

今のようなつきあい方は先がない。

「気狂い」にはそれがわからない。

Skygazer

311以降、空を見上げる人が増えたような気がする。

来たるべく巨大地震を予知する意味での地震雲か、そうでないとか。奇妙な空の色だとか、雲の形だとか。

また、東日本大震災を人工地震と考える向きには、空は人口削減計画に基づくケムトレイルを発見するフィールドである。

エイリアン・ディスクロージャーという観点からUFOを見つける人もいる。

純粋に災害であれだけの人が命を落としたのだから、今生きている奇跡的な感覚から、空の、あるいはもっと先の宇宙に感心を向けている人もいることだろう。

バブル崩壊後、日本人は空を見上げる余裕もないくらいに酷使され、地べたに這いつくばってきた。

だから、311以降、本当の社会の姿を見てしまった人たちが空を見上げるというのは比喩的でもあり、神の導きのような詩的な雰囲気もある。

twitterのタイムラインを見るだけでも、相当数の空の写真を見る。

ソーシャルには空があふれている。

僕はそんな人たちを空を仰ぐ人(Skygazer)と読んでいる。

今まで見ていなかったものに目を向けている人という、リスペクトを込めた敬称だ。

彼らは空に、おそらく、未来とか、忘れていた愛情とか、あるいは空を鏡にして俯瞰して、己を、世の中を、地球を見つめ直しているのだと思う。

ありがとう

「人生は食べてみなければわからないチョコレートの箱のようなもの。」(フォレスト・ガンプ/一期一会)。今までフォローしてくれた、みんな、ありがとう!楽しかった!またこれからも、よろしく!お元気で!つぶやかなくなったら、さようなら。天性のランダム意図無しキュレーション、トリックスターxtraでございます。(便利な使い捨てタイプです。)

xtra curative

もっといろんな下世話な素材を使わなくちゃイカンな。

素材を吟味するようになるとおいらは《丸裸》になる。

おいらの《裸》を見せたいのではない。目的は素材で「今」を伝えることだ。

「自由」「平等」「博愛」新しい支配者のイメージは極めて明るい

Appleエバンジェリストという言葉がある。

ボランティアのジーニアスと言えばぴったりな気がする。

彼らはApple(多分、気分的には創業者のスティーブ・ジョブズ)への絶大な「信頼」のもと、Apple製品の広告媒体として機能している。

かく言う僕も大学を出て、制作会社のMacintoshでデザインを作っていた頃、その合理的で、夢に満ち、しかも革命をも起こせそうなビジョンに心奪われたものの一人だ。

Appleが切り拓いた「DTP」という、印刷メディアの制作プロセスの開放という「既存メディア」の破壊行為。

今でこそ、「ザ・ネット」によて広くジャーナリズムは開放され続けているけれども、当時は大手マスメディア独占のステージに風穴を開けられる予感すらあったものだった。

それ以前ですら未だかつて「コンピュータ」が足を踏み入れたことのない「家庭」に持ち込んだという偉業(Apple II)も成し遂げていたのだ。

もはやコンピュータは大陸間弾道弾ミサイルの制御と着弾位置の計測のための巨大なメインフレームだけではないという「革命」の成就した瞬間だった。

現在、パーソナルコンピュータのOSとして世界を席巻している「Windows」はAppleのMac OSの「模倣」という形で商品化されたものにほかならない。

彼らエバンジェリストが「Apple」に抱く、極めて「肯定」的なビジョンは、かつての「自由の国アメリカ」のそれとよく合致する。

「キャンパス」とまで呼ばれた自由で明るい雇用環境。

そこから生み出される、「革命」的な技術とその浸透を促すマーケティング。

かつて「資本主義」がまだ新しい「革新」を起こせると信じられた記憶がそこにはあるのかもしれない。

しかし、Appleとて醜聞がないわけではない。

先日の中国の工場の件もそうだし、iPhoneの筺体っが破損しやすい、地図アプリに不具合など、製品には常にマイナス要因がつきものであるにもかかわらず、いわゆるエバンジェリストの絶大な支持は衰えない。

Appleへの得体の知れない「期待」はそれ程に強力なのだ。

就任当初のオバマ大統領とスティーブ・ジョブスに人々が抱く、ある種の「希望」は同一の物のように思える。

そこには、「自由」「革新」「平等」「公正」といった、ポジティブなワードが空気となって散乱している。

ジョブズとオバマが同席したディナーの写真を見た時もさほど驚かなかった。

多くの人がそうであったように、僕も、少しばかりオバマ氏には期待を抱いていた。

311までは…。

おそらく、オバマ氏を支持したであろう人の希望は「平和」出会ったであろう。

しかし、戦場は収まりを見せてるとは言い難い。

「ワン・ワールド」という言葉がある。

いろんな意見がある。

最近知った世界観にこういうものがあった。

「Old World Order」vs「New World Order」

僕のイメージでは「ポケットモンスター」に出てくる「伝説ポケモン」と呼ばれる異次元界の巨大なモンスターが人知れず戦っている。そんな感じだ。

石油利権型戦争利益追求の旧資本勢力 vs 情報利権型情報利益追求の新資本

一見するところ理路整然と筋が通りそうだが、資本同士を対立勢力に描くことで、一般大衆を安心させるアセンション型安心アプローチかもしれない。

あるいは「お決まり」の「善玉・悪玉」という展開も可能だ。

ジョブズにしろ、オバマにしろ、「善玉」の「自由の象徴」であると同時に、世界を動かす牽引役であることは間違いない。

かつての王族、貴族、独裁者的政治指導者たちは、公開処刑という陰惨な「恐怖心」を煽ることで、「大衆」を統治してきた。

でも、これら、全く新しい「オーダー」の指導者たちは、ローマ帝国の娯楽同様に、何か「新しい」「夢」「公正さ」「清潔さ」を引っさげて僕らの前に現れたと思うのは考え過ぎだろうか?

今でも僕にとってはスティーブ・ジョブズは「兄貴」分的リスペクトの対象で在る。

つまり、気分的には「支配されている」意識がないだけなのだ。

そうやって「新しい帝国」は僕らの「夢」や「希望」の姿になって現れる。

誰も自らを「奴隷」とは思わない。

「労働者」の立場が「奴隷」と気づかないことと同様に…。

xtra zombie

俺は人が荼毘にふされるのを初めて見たのは、母方の祖父の時だった。骨は残らず、そんなもんなんだろうとずっと思っていた。あとで聞いたが、死ぬ間際まで相当の薬を飲まされていたらしい。精神科医にかぎらず医者というのは所詮、死神の助手。死ななかったらそれは単なるまぐれだね。

祖父の死が少年時代のおいらにもらたした暗い影は、おそらく「死」だったろう。両親はおろか祖母ですら信仰がないので、来る日も来る日も「死」に怯え続けた少年時代だった。無論、神が救済などするはずもないが、逆に「死」と「孤独」は、以後ありきたりの風景と化し、現在に至る。

本当はもう誰も必要ではないはずなのだ。また、誰も必要としないはずなのだ。もしも、来年の桜を見ることができた暁には、名前を変えよう。

【命名】xtra zombie

ノスタルジア

以前、テレビで山田洋次監督が映画「息子」のラストシーンについて語っていたのを思い出す。

山田洋次がラストをどのようにしたものか決めかねていたが、他スタッフの助言から最終的に決まったと言う。

聴覚障害を持つ義理の娘とのコミュニケーションのため買ったファクシミリを抱えて、雪深い自宅に父(三国連太郎)が帰る。

やがて、家に明かりがともる。

このシーンで、お父さんは死んじゃうんじゃないかと思った人もいるみたい。

山田洋次の「息子」: エムズの片割れ

老人にとってはファクシミリ、ましてやそれを用いるコミュニケーションなど、遠い未来の話。

時代に押しつぶされそうだけど、そこには暖かい人間とのかかわりがある。

だから(死んでしまうのではなく)明かりはともされる。

人は過去を懐かしむ生き物だ。

かつて生きていた故郷を懐かしむ生き物だ。

「ブレードランナー」の過酷な宇宙環境での労働に従事するレプリカント達の心のよりどころは捏造された「過去」「記憶」だったはず。

人は「思い出」なしでは辛い現実を生きてはゆけぬ。

だから時々、立ち止まっては「思い出」に浸る。

最近「発展」「進化」というものは「資本主義」という人間の収奪システムの要求を満たすための《神話》ではないかと思うようになった。

ファクシミリに新しい《心のよりどころ》を見つけた老人同様に、俺たちもインターネットというまったく未来型のコミュニケーション手段に《心のよりどころ》という奴を見いだしてしまった。

一部、陰謀論者達に見られがちな、アーミッシュのような、あるいはかつての「芸術復興運動」的な牧歌的な生活に戻ろうというベクトルがあるのも知っている。

正直、これほどモダンな生活様式を手にした以上、元には戻れまいというのが俺個人の意見だが、どちらが「正しい」のかは当然わからない。

ただはっきりと言えるのは、人は人と関わり合い、別れた全てのものを思い出し、また明日に向かって歩かなければ生きてはゆけぬ、ということだけ。

xtraheavyさんの2012年9月の運命は・・・ | 予言詩メーカー

xtraheavyさんの2012年9月の運命は・・・ | 予言詩メーカー

http://tinyurl.com/9psbrf6

1日~7日

 瞳の奥を覗き込んではいけない

 運命的な出会いがあるのだから

 設計図に狂いはない

 あなたは勇気を抱きしめるだろう

8日~14日

 彼は大きな丸を手に入れるだろう

 輪廻は規約を無視する

 悪い誘いに乗ってはいけない

 全ては借り物に過ぎないのだから

15日~21日

 決して知識に溺れてはいけない

 黒い雨は降らないのだから

 試練の日がやって来る

 彼女は赤く燃え上がるだろう

22日~末日

 本質は単純な力を振るう

 分岐点では右に進みなさい

 斜めから全体を眺めるよりも

 曖昧に迷走し続けるといいだろう